御蔵島 廻船所持 300年記念Tシャツの作成

いまでは当たり前の様に物資を乗せた船が行き交い、豊かな生活を送ることができる御蔵島。300年前の江戸時代中期には、三宅島の属島であったため、江戸を行き来できる自前の船を持っていませんでした。公印を獲得し、独自に廻船を持つことは島民の悲願だったのです。
(廻船絵馬:当時江戸を生き来していた船はこの様な和船でした)
その頃、御蔵島に流罪となった幕府の医師、奥山交竹院(おくやまこうちくいん)は、島の長であった加藤蔵人(かんとうくらんど)からこの話を聞き、江戸の医師仲間である桂川甫筑(かつらがわほちく)へ、幕府への働きかけを依頼、御蔵島のために大きく貢献しました。
奥山交竹院は流罪5年目の1719年に御蔵島で生涯を終えます。しかし交竹院没後の1725年に念願の廻船所持許可を得た御蔵島は、自分たちの船を持ち直接江戸へ黄楊や薪を積み出すことが出来るようになりました。更に1729年には三宅島からの独立も果たします。
その後島の人々はこれらの出来事に貢献した3人の功績を讃え、加藤蔵人、奥山交竹院、桂川甫筑を神として三宝神社(さんぽうじんじゃ)に祀りました。

【巳の年に 巳蔵の願い 巳なかない 巳よや 巳ふねを 巳なも悦ぶ】
(みのとしに みくらのねがい みなかない みよや みふねを みなもよろこぶ)
ー享保十年 巳九月吉日—
と和歌が刻まれていて、幕府から廻船保持の許可が下りた享保十年(1725年)が巳年であり、島の人々が喜んだ事がわかります。
そして今年2025年は廻船保有の許可が下りてからちょうど300年と言う節目の年。
観光資料館では当時の歴史にまつわるパネル展が行われています。(2026年3月まで)

デザインはふくまる商店の山田壮稔さんが担当。少ない資料の中で絵馬を参考にしながら当時の想いを形にしてくれました。


山町:ブラック
海町:ネイビー

300年経った今でも、私たちが3人への恩を忘れることはありません。









































































